2019年8月 パパは何でも知っている

マダガスカル北西部マジュンガ市のコモロ人居住区で民話を採話した際,調査助手の父親の知人が語り手を斡旋してくれることになった。ホテルで待っていると,プスプス(人力車)から降り立った件の人物は楊枝をくわえ,やおら一服つけて横揺れ気味の大股でサンダルを鳴らしながら歩いてきた。名前は「パパ」だと自己紹介されたので,同郷人が彼を呼ぶ愛称かと思ったら身分証にもちゃんとPapaと記載されている。彼は現地のコモロ人共同体で様々な意味における仲介を行う顔役らしいが,その風体からも別称の方が似つかわしい。彼はこちらの頭から足先までをねめ回してから,用件は既に承知している旨を述べ,早速翌日から採話を始めることになった。

(マジュンガ市内を疾走するプスプス)

翌朝,プスプスから(既に)楊枝をくわえて降り立ち,前日よりやや広めの大股歩きで,肩をいからせてやって来たパパと共に今度はタクシーに乗り込んでコモロ人居住区に向かう。さすがに顔役の仕事は早く,彼の知り合いであるイブラヒム氏の家で午前と午後に数人ずつから採話を行うことが既に決まっていた。居住区に着くとまず,平屋が立ち並ぶ一角にある雑貨を売る一坪ほどのスタンドで,謝礼を入れる封筒をその日の人数分買い,窓口で人目を避けて二人で封筒に次々と札を入れていく。パパはスタンドに朝食代わりの菓子を買いに来た子供たちの好奇の眼差しを無言の恫喝で追い払ってからイブラヒム氏の家に向かう。

(マジュンガ市のコモロ人居住区)

既に五,六人の男たちが,扉を開けてすぐの薄暗く狭い寝室で待っており,彼らが腰掛けている大きな寝台の端には幼児が寝ている。挨拶(サラム・アレイクム)を人数分交わしてから調査助手が用向きを説明し,さっそく一人目の採話に取りかかる。我々を含めて十人ほどが膝を付き合わせて座っている中で採話をしているうちに,隣家のラジオが大音響で鳴り始めるとパパが席を外して音を小さくさせた。しばらくすると家の前で子供たちが遊び始め,騒ぎ声が大きくなるとパパが外に出て一喝する。寝台ですやすや眠っていた幼児がむずがって泣き始めると,これまたパパが抱き上げて母親を探しに行った。午前のセッションが終わり,語り終えた男たちにそれぞれ封筒を渡し,たばこを一同に勧めて皆が一服する。一人が二話程度語ったので午前中だけで十話以上の収穫である。午後も同じぐらいの人数が集まり,初日で二十話余りを採話するという上々の滑り出しであった。

二日目もプスプスから楊枝をくわえて降り立ったパパとタクシーに乗り,前日と同じようにスタンドで封筒を買って金を入れ,前日と同じ家で午前のセッションを行った。午後は別の家で採話を行ったが,語り手の半分は女性だった。ひとりの若い女の子が語る物語は前の晩に急いで暗記した何かの民話集のものらしく,時々上目遣いに記憶を手繰っている。パパの召集で小遣い稼ぎに来たのであろうが,語りの比較には絶好のサンプルである。

三日目は採話はせずに午前中は今まで採話した音源のチェックを行い,午後から市場をひやかしに出かけた。めぼしい民具を探していたら,売り子の少年が駆け寄ってきて色々と勧める。石を並べるソリティアを買おうと思ったが,値段を聞くと予想より高いのでねぎっていると,背後から「それは半額だな」とダミ声がして振り向くとパパである。少年は「そりゃないよ,パパ」と半ベソをかいたが結局はその価格になった。夕刻は採話一覧の確認作業を行い,夕食を終えてホテルに戻る途中,暗い夜道で夜の職業婦人たちが小さな灯りを囲んで座り込み,何やらひそひそと話している。その横を通り過ぎるとお馴染みのダミ声で「今晩は」と声をかけられたので目を凝らすと彼女らの輪の中にパパがいた。

(コモロ人居住区の居酒屋「友愛」)
(マジュンガ市内のレストラン「船員亭」名物の濃厚で強いフルール・ラム)
(パパとモスクのイマーム)

マジュンガ滞在の最終日にパパから,自分が経営している縫製工場を見に行かないかと誘われたが丁重にお断りしてホテルで荷造りをしていると,乱暴にドアを叩く音がしたので開けるとパパが鼻先数センチのところに立っていた。フロント嬢もパパを通さないわけにはいかなかったのだろう。パパはずかずかと部屋に入り込み,ポケットからしわくちゃの紙切れを取り出して用件を述べ始めた。コモロから偉いシャイフが来るので,それに合わせて当地の不遇なコモロ人への喜捨を募っており,今までこれだけの人からこれだけの喜捨を集めたと紙切れを見せてくれる。そこには何人かの名前と金額が記してあるが,同じ色のボールペンで同じ筆跡で書かれ,金額も等差数列に近い。喜捨した高徳の人物の名前は,いずれモスクに銘板が出来てそこに刻まれるであろう,とのことである。幾らか手の込んだ寸借詐欺ではないかとも思ったが,もしそうならば準備に結構時間がかかったことだろう。彼には既に相応の謝礼は支払ってあるが,数日間で約五十人の語り手を集めてくれたことへの付加手当として,「異教徒である自分の名が銘板に載るのは大変光栄である」と少々大げさに述べて適当な額を渡した。その後,モスクに銘板が掲げられたとの情報は今のところ入っていないので,その喜捨はパパのプスプス代や,楊枝がせせり出す朝食の代金などになった可能性もある。

この地におけるパパの遍在は顔役としての重要な務めであろう。顔役は共同体で何が起こっているのかを何でも知っている必要があるのだから。昭和30年代に日本でも放映されたアメリカのホームドラマ『パパは何でも知っている』に出てくる物知りのパパは保険会社の部長さんであるが,縫製工場の(自称)経営者のパパもなかなかである。

(小田 淳一)

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