2011年8月 中東トイレ事情

数年前、とあるトイレメーカーから相談を受けたことがあります。中東で温水洗浄機能付き便座(以下、商品名を出して恐縮ですが「ウォシュレット」と表記)を販売するにあたってアドバイスを求められたのです。

中東はじめムスリムが多く住む地域になぜウォシュレットが普及していないのか、需要はあるはずだと考えている日本人はわたしだけではないはずです。というのも、ムスリムには、日本でウォシュレットが販売された1980年よりずっと昔からトイレで「お尻を洗う」習慣があるからです。こうした習慣は、清潔さを重視するイスラームの教えによっています。1400年前、預言者ムハンマドにもたらされた最初の啓示のひとつも清潔に関することでした。聖クルアーンには、

誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛でられ、また純潔の者を愛される(雌牛章222節)

と示されており、「清潔は信仰の半分」というハディース(預言者ムハンマドの言行録)もあります。清潔さは崇拝行為(イバーダ)が正しくなる条件ですから、1日5回の礼拝前には必ず手足口耳などを水で浄めること(ウドゥー)が義務づけられていますし、性交後は全身を洗わなくてはいけません。用便後も同様です。排泄器官を水で洗浄することをイスティンジャーと言いますが、こうした義務も含め、「トイレ作法」に関する法的見解は多く存在しています(トイレにクルアーンを携帯してはいけないなど)。

(2010年2月撮影 中東で一般的な「和式」トイレ)

一般に中東のトイレは写真のような「和式」が主流で、そのかたわらにハンドシャワーが設置されています。最近は「洋式」便器も多く使用され、ホテルや中流以上の家庭には写真のように、便器の脇に小型便座のようなビデまで備えつけられています(ビデはウドゥーにも使用します)。もちろん、地方にいけばハンドシャワーの代わりに手桶が置かれているだけの場合もあります。そのようなときは手桶に水を入れ、それを左手にすくってお尻を洗うのです(そのためイスラーム圏では左手は不浄の手とされています)。またトイレでウドゥーをおこなうことも多いのですが、別途洗い場が設置されていない場合、洗面台で手足を洗うため、つねに床が濡れています。

(2005年9月撮影 オマーン人家庭のビデ付きトイレ)
(2009年2月撮影 カフェのトイレ内の洗い場)

初めてこうしたトイレを使う人は驚いたり、疑問を抱くことも多いでしょう。まず「和式」の場合、どちらを向いて用を足したらよいのでしょうか。これは日本と逆で、穴の上にお尻が来るようにドアの方を向いて用を足します。また、トイレットペーパー・ホルダーがない、あるいは紙が常備されていない場合も多いです。なぜなら紙でお尻を拭く習慣がないからです。最近は紙が置かれていることも多いですが(とくに観光地や空港など)、使用後の紙を便器に流してはいけません。そもそも紙を流すように作られていないので紙詰まりを起こしやすいのです。紙を使った場合は、かたわらのごみ箱に捨てましょう。

最近は、便器と洗浄用シャワーの一体型(ウォシュレットの原型?)も登場しています。ただし一体型にしろ、ハンドシャワーにしろ、温水機能はついていません。私が暮らしていたオマーンでは夏の気温が50度近くにもなりますから、シャワーやノズルから出る水でやけどをしないよう注意が必要です。

さて、話を「ウォシュレット中東進出」の話に戻しましょう。すでに便器とシャワーの一体型が登場している状態にあっては、日本製ウォシュレットが普及するのも時間の問題と思われました。2005年にマドンナが来日した際、日本のウォシュレットを絶賛したこともあり、海外での知名度もあがるのではないかとわたしも思っていました。実際、日本に3年間留学していたオマーン人の友人はウォシュレットをいたく気に入り、現地で販売されれば自分はまちがいなく購入するとも言っていました。

とはいえ、日本製の商品をそのまま中東にもっていっても現地のニーズを満たすとは限りません。とくに日本の最新式ウォシュレットには、節水・節電、脱臭機能などがついていますし、便ふたの自動開閉や自動洗浄機能はもちろん、なかには使用時にバラの香りをただよわせる機能までついているものまであります。価格帯を考えると湾岸産油国の中流家庭以上がターゲットかと思いましたが、はたして彼らにこうした機能が必要かは甚だ疑問でした。まず彼らには節水・節電の概念がありませんし、用便後お尻を乾燥させることもしません。またトイレ掃除はすべて使用人がやるため、汚れがつきにくい便器の構造というのもピンとこないでしょう。しかも各寝室に1つトイレが備わっているのも日本の家屋と異なる点です。欧米のように浴室内に便器が置かれている設計なので、ウォシュレットのための電源を取るのも難しいのではないかと思いました。なにしろ毎日使用人がトイレ周りを大量の水を使って掃除するのですから。

こうした条件をふまえて、わたしは「機能は洗浄機能のみに留めて、価格を2〜3万円程度に押さえる」ことを先方に提案しました。残念ながら現在のところ中東で日本製ウォシュレットが販売されるには至っていませんが。

(2003年9月撮影 スカスカの安物トイレットペーパー)

たしかに、ムスリムは清潔の意識が高いのですが、何を清潔ととらえるかは文化によって異なります。彼らにしてみれば紙でお尻を拭く方が不潔であり、実は1000年以上も前からお尻を少量の水(あるいは砂)を用いて手動で洗ってきたことを考えると、電気も紙も使わない彼らのトイレ文化は実に清潔でエコといえるのではないでしょうか。

(大川 真由子)

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