2013年9月 カドゥキョイの抵抗

イスタンブルのアジア側、観光客でにぎわう旧市街のスルタンアフメト地区、あるいは新市街のタクシム地区から、それぞれ船に乗って約三十分のところにカドゥキョイは位置する。古来カルケドンと呼ばれたこの地は、ビザンティウム建設の際の神託に有名なように、「盲人の街」として知られている。天然の要害、地勢の利を得た場所が目と鼻の先にありながら、あえてその対岸に街を築くとは、その創設者たちは盲人だったに相違ない、との謂いである。実質的にはイスタンブル大都市圏の一環として機能したことの多いカドゥキョイではあるが、それでもここは長らく行政的にも司法的にも、帝都たる新ローマ=コンスタンティノープル本体とは別個の管区・教区を形成していた。

(オリンピック招致の広告を掲げる船)

この逸話が象徴するように、今も昔も、ここの人々のアイデンティティはしばしば「対岸(カルシュ)」、即ちイスタンブル新旧両市街との距離感によって表明される。曰く、「対岸」は観光客ばかりだ、「対岸」のやつらは金儲けばかり考えている、「対岸」は物価が高すぎる、「対岸」はいつもうるさい、「対岸」には本当のトルコなんてどこにもない、などなど。それに対して、ここカドゥキョイの人間にこそ、礼儀正しく客人を歓待する、落ち着いて優雅な文明的なトルコ人の姿が見出されるのだ、と。それが正しいか否かは保証の限りではないが(実際にはむしろ共通点の方が多いだろう)、このような差異の意識は、彼らの誇りの源泉となる。

だがそのカドゥキョイもイスタンブル全体の、あるいはトルコ全体の動向と無縁ではない。比較的平穏だった夏季休暇が終わりに近付き、オリンピック招致も失敗に終わった2013年9月、カドゥキョイは、同年5月末以来、「対岸」は新市街ゲズィ公園で行なわれた反政府デモを支持し、その「抵抗」を継承する旨を掲げるデモの舞台となった。夜な夜な街頭での行進が行なわれ、「あらゆる場所がタクシム!」「タイイプ辞めろ!」「公正発展党は人民に対するツケを払うことになるだろう!」というシュプレヒコールが響き渡る。「屈服するな」「人民の敵、人殺しのタイイプ・エルドアン」などの横断幕が翻る。言うまでもなく、ここで「抵抗」すべき相手とは、公正発展党党首にしてトルコ共和国の現首相、レジェプ・タイイプ・エルドアンに他ならない。

(デモ行進の模様)

この間、政府寄りのテレビ局はほとんどこの種のデモを報じることはなく、その代わりに、やはりほとんど連日、エジプトとシリアの惨状を(心なしか嬉しそうに)報道し続けていた。選挙で成立した政権を軍が非合法に打倒した、それを国際社会はなぜ「クーデタ」と呼ばないのか、呼べないのか。シリアで化学兵器が使用され、多くの無辜の民が虐殺されているのに、なぜ国際社会は介入をためらうのか、と。こうした論調は、現政権とそれを支える「イスラーム政党」、公正発展党に心地良く響くものである。

長らく「世俗主義」を金科玉条としたトルコ共和国において、「イスラーム政党」が単独政権を実現し、しかもそれを十年以上も維持していることは、史上に類例のない事態である。更に、現在のエジプトやシリアの混乱は、トルコの相対的な地位向上を意味している。そして、そうした事態を横目に睨みながら、イスラームの正統性や美徳を国際社会の場で擁護しつつ、選挙を通じた民意の支持を正統性の柱に据えることで、不当な軍の介入には断固抵抗する姿勢を示すというこの論理は、自国内では、「世俗主義」の牙城たる軍部に対する公正発展党の正統性を再確認するという意味を持つ。イスラームと近代文明との調和を図り、それをもって欧米諸国に対するイスラームの代弁者を自任しつつ、着実な経済発展によってこの自意識を裏打ちする。オリンピック招致はその延長線上に位置しよう。

とはいえ、十年に及ぶ支配は当然に反発も生む。「俺はリベラルだからな、今の政権はやり過ぎだ。イスラーム的に過ぎる。何でもイスラーム風にしようとするし、俺たちの私生活に干渉し過ぎる。それにここのところはどこに行ってもモスク、モスクだ。厭になる」というのが、僕の友人の言である。都市再開発や原発誘致に象徴されるやや強引な経済成長政策や、各種の「イスラーム化」政策。実際、僕が留学を始めた2004年の頃に比べれば、イスタンブルの「イスラーム」度ははるかに高まっているように思われる。

(「我々は99パーセントだ」という落書き。デモ行進の最中、筆者の目の前でさささっと書きあげられた。トルコの一連の「抵抗」運動は、ウォール街の「占拠運動」を範としている)

しかし、やはり2004年と今とを比べると、景気の面でも都市インフラの面でも、顕著な進展が見られたことは否定し難い。他方で、ゲズィ公園の一件に象徴される一連の政情不安が観光収入の減少をもたらすことは言うまでもなく、それは必ずしもイスタンブル都市民に歓迎できることではない。そしてオリンピック招致自体は、やはり政権の支持不支持とは関わりなく、トルコ人の多くに共有された目標だったように思われた。ではそうした中で、現政権への「抵抗」を旗印に掲げる人々は、それに代わり得るどのような将来像を描いているのだろうか。現政権の「専制」に対する批判する以上の、建設的なヴィジョンについて、必ずしもデモ参加者の間に合意があるようには見受けられない。「あんなのは有閑な学生がやってるだけ。投票にもろくに行かないくせに」というのは僕の別の友人の言である。それが必ずしも正しいとは言えないだろうが、街頭でのデモ行進は、多くの国民の抱く不満を示してはいても、必ずしも国民全体の投票行動に直結するわけではなさそうである。

(平穏な8月末のタクシム広場、ゲズィ公園)

この間、一連の事態の中心地だったタクシム広場は嘘のように平穏だった。だが夏の終わりに伴って、それにも変化が生じつつある。9月に入って、東南部ハタイ地区での政権批判デモで死者が出たことを直接のきっかけに、タクシムで再びデモが行なわれ、それが鎮圧されると、抗議行動はカドゥキョイに移り、むしろアジア側を主戦場とするようになってきている。

トルコの政治の季節は今しばらく続きそうだが、ではそこで、選挙を根拠とする政権の「民意」と、街頭で誇示される「民意」との間で、果たしてどのような落ち着きどころが見出されるのだろうか。その際、カドゥキョイの「抵抗」は、どのような推移を辿ることになるのだろうか。

(藤波 伸嘉)

本稿作成に当たって髙松洋一氏より貴重な教示を得た。ここに記して謝意を表する。

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