2012年7月 トゥーバ:楽園の樹と重なる町

(地図1:セネガルの位置)

アフリカ大陸西端の国、セネガルは、人口のおよそ9割がムスリム(イスラーム教徒)であるといわれ、「イスラーム圏」の一部ということができるでしょう。イスラーム圏には、神との合一を目指して修行の道を歩むスーフィー(イスラーム神秘主義者)達が中心となって構成される集団 ―― スーフィー教団(イスラーム神秘主義教団)―― が複数存在していますが、今日、セネガルのイスラーム社会の特徴としてしばしば言及されるのは、こうしたスーフィー教団の有する政治的・経済的・社会的影響力の大きさです。

そして、セネガルのスーフィー教団、もしくは教団内の有力一族を中心とした派閥には、それぞれその聖都ともいえるような町があります。標題に記したトゥーバは、まさにそうした聖都の典型で、19世紀末のセネガル西部に端を発するムリッド教団(ムリーディー教団)というスーフィー教団が拠点としてきた町です。

(地図2:トゥーバの位置)

現在のセネガルでは、この町の名称をフランス語式のローマ字表記でTouba(トゥーバ)と書きますが、これは、この町の本来の名称である「トゥーバー」というアラビア語の語彙が変化したものです。写真1は、ムリッド教団の例祭の際に目にした掲示物ですが、実際にこの町の名称がアラビア語で「トゥーバー」と表記されています。「トゥーバー」は、一般的には「恩寵」や「幸福」などを意味する語ですが、同時に、イスラームの文脈においては、来世の楽園の中心に聳える一本の樹木の名称でもあります。

(写真1:アラビア語で「トゥーバーへ」と記された掲示物)

19世紀末、ムリッド教団の開祖とされるスーフィー、アフマド・バンバ(1927年歿)は、神の導きによって広大な原野の一地点を特定し、そこにトゥーバーという名の集落を建設したといわれ、それが今日のトゥーバの町の原型となりました。自身の著作の中で、楽園のトゥーバーに言及する預言者ムハンマドの言葉を引いていることなどから、恐らくアフマド・バンバは、集落の建設とその名称設定に際しても、この神秘的な樹木の存在を意識していたと考えられます。

新プラトン主義の流出論に影響を受けたといわれるスーフィズム(イスラーム神秘主義)の宇宙論では、具体的な存在物になる前の種のようなもの ――「元型」(archetype)―― に満ちた世界があり、この元型が様々な形をとって現れることで、階層的な世界が構成されると考えます。都市地理学と文化地理学の視点からトゥーバに関する詳細な研究をなしたエリック・ロスという地理学者は、こうしたスーフィズムの宇宙論の分析に基づき、トゥーバという町と楽園のトゥーバーという樹木との関係を巡るムリッド教団の認識のあり方を明らかにしています。つまりそれは、両者が根源的・本質的に同一の存在であり、ある元型が、来世の楽園においては、その中心に位置する樹木(トゥーバー)として現れ、現世の地上においては、セネガル西部のムリッド教団の町(トゥーバ)として現れているとする認識のあり方です。

(写真2:トゥーバのモスク①)

そして、この現世のトゥーバの中心に位置するのが巨大なモスクです。上述したようなセネガルのスーフィー教団のどの聖都にも、目を見張るような壮麗なモスクがありますが、トゥーバのモスクは、その大きさや豪華さにおいて抜きん出ています。モスク中央に位置する高さ87メートルのミナレットとそれを囲む4つのミナレット、白色や薄い桃色の大理石からなる壁や床、紫色や緑色の大きな丸天井。質素な低層の建物群によって構成される周辺の町並みの中にあって、この多彩で巨大なモスクは、見る者に異様ともいえる圧倒的な印象を与えます。

(写真3:トゥーバのモスク②)

このモスクの建設は、アフマド・バンバの命令によって1920年代に始められましたが、1927年のアフマド・バンバの死やそれに伴う後継者争い、第2次世界大戦に起因する混乱などといった諸々の理由によって建設工事は遅れ、1963年、漸く落成を迎えました。そして、この落成を待っていたかのように、トゥーバの町は、その後、急激に膨張していきます。1964年の時点で5,000人に満たなかった人口は、それからおよそ10年毎に、30,000人、120,000人、350,000人と増加し続け、2005年には、約500,000人に達したといわれています。人口の点だけでいえば、トゥーバは、首都ダカールに次ぐ、セネガル第2の都市ともいえます。

(写真4:トゥーバのモスクへと至る市場の道)

セネガルは、1960年に独立を果たしますが、トゥーバは、その国民国家の中にあって、一定の自治を法的に認められてきました。セネガルという国家の長は大統領ですが、トゥーバという町に限っていえば、あくまでその長は、ムリッド教団の最高指導者、つまりアフマド・バンバの後継者です。政治に纏わる問題であれ、経済に纏わる問題であれ、宗教に纏わる問題であれ、トゥーバにおけるあらゆる事柄を最終的に差配するのは、この最高指導者です。こうしたトゥーバの治外法権的ともいえる地位に関しては、セネガル国内においても様々な意見があるようですが、この自治権が、例えば国家の法的拘束力から逃れた活発な経済活動を可能にするなど、様々な側面において、セネガル独立後のトゥーバの急成長を支えてきたことは間違いないでしょう。

(写真5:トゥーバの市場)

そして、ムスリムであるムリッド信徒にとっての聖域であり、現実に国家権力の論理とは別の論理が働く場であるトゥーバには、セネガルという国家の法とは異なる、様々な独自の規則が存在しています。例えば、セネガルにおいて飲酒は法的に問題となりませんが、トゥーバでは禁じられています。これは勿論、イスラーム法で飲酒が非合法とされているからです。また飲酒以外に、喫煙や音楽、踊りなども禁止されているようです。写真6はトゥーバの入り口にある看板ですが、「勧告に『はい』、煙草に『いいえ』。聖地トゥーバ、煙草のない町」とあります。フランス語の文章ですが、「勧告」(ndigël)という語は、現地語の一つであるウォロフ語で書かれています。師弟間の紐帯に重きを置くスーフィズムの文脈にあって、この「勧告」は、師から弟子に向けて発せられる勧告や忠告、命令を意味しており、「勧告に『はい』」という文言は、自らの師の勧告に対する絶対的服従を重視するムリッド教団の価値観を反映しています。その上で、この強く肯定される行為との対置によって、喫煙という行為が強く否定されているわけです。そして、こうしたイスラームやスーフィズムの文脈において成立する独自の規則の存在は、トゥーバがセネガルの他の町々とは異なる特別な空間 ―― 聖域 ―― であるという認識を人々の間に浸透させる一つの要因としても、大きな意味を持ってきたと考えられます。

(写真6:喫煙を禁じるトゥーバの看板)

ただ、こうした規則が定められているからといって、この町の雰囲気が過度の「宗教的」厳粛さによって染められているわけではありません。教団の例祭などが催される期間を除けば、この町の日常は、セネガルの地方にある他の町や村と同様、いたってのんびりとした空気に包まれています。

強烈な喧騒に包まれた首都ダカールから乗合タクシーに揺られること3–4時間。到着したこの静かな町は、本当にさっきまでいた首都に次ぐ人口規模を誇る都市なのだろうか、と訪れるたびに思わされます。そして、そこに流れるゆったりとした時間の中で眩いばかりのモスクを眺めていると、人々を引きつけて急速に成長してきたこの聖都と楽園の中心に生える大樹とを重ね合わせる認識の在り方が分かったような気にもなるのです。

(写真7:トゥーバで出会った子供達)

(苅谷 康太)

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