2012年10月 フィリピン南部、スールー諸島の真珠

(2006年8月 フィリピン、マニラにて撮影 写真①真珠を売るムスリムの女性。) 

今回は私の調査フィールドの1つであるフィリピン南部のスールー諸島(Sulu Archipelago)の真珠の話です。スールー諸島と言っても、一般の方のなかには初めて名前を聞くという人も多いのではないでしょうか?ここで言うスールー諸島とは主にフィリピンの南部から東マレーシアのボルネオ島北部沿岸周辺にかけて鎖状に連なる島々を指す総称です。一般的にはフィリピンと言えばキリスト教徒の国というイメージが強いと思いますが、今回取り上げるスールー諸島は、隣のミンダナオ島とならんでムスリム(イスラーム教徒)の人口が相対的に多いことを顕著な特色としています。

同地域へのイスラームの伝来については専門家の間でも諸説ありますが、概して西暦13世紀から遅くとも14世紀頃にはイスラームが伝わっていったとされ、現在では同地やミンダナオ島などには推定で500万人から700万人前後のムスリムが生活しています。こうしてスールー諸島を含むフィリピン南部は、イスラームの世界的な広がりを構成する外縁に位置する地域の1つ、いわばイスラームの最東端のフロンティアとして位置づけることができるでしょう。

そして、スールー諸島はアジア域内でも有数の真珠の産地として古来より知られてきました。たとえば既に西暦13世紀頃には、スールー産の真珠が中国へ輸出されていったとされています。15世紀から19世紀の後半までは、スールー諸島にはスールー王国として知られる独自のイスラーム王国が存在していました。スールー王国の首都であったホロ島は、東南アジアにおいて真珠の一大交易拠点でした。

ちなみに日本で真珠と言えば一般的にはアコヤガイを母貝とする真珠(アコヤ真珠)が有名ですが、スールー諸島で採れる真珠は、白蝶貝(Pinctada maxima)や黒蝶貝(Pinctada Mrgaritifera)などを母貝とする真珠、いわゆる南洋真珠が中心です。とくにスールー産の白蝶貝を母貝とする真珠は、金色や銀色を帯びた美しい光沢を有したものとして珍重されてきました。またその母貝の貝殻自体も美しい光沢を帯びています。ときには直径40cm前後にまで生育するその真珠母貝の貝殻は、伝統的に各種の装飾品や貝ボタンの材料などとして利用されてきました(写真②参照)。

こうした真珠や真珠母貝は、サマ(Sama、ないしバジャウBajau)人と呼ばれるスールー諸島の海の民によって主に採取され供給されてきました。彼らは伝統的には素潜りで、ときには水深10m以上の海底に潜ってナマコや真珠貝などを採取する潜水漁の達人として知られる存在です。この海の民の活躍によりスールー諸島は、東南アジアでも指折りの真珠の産地の1つにまで成長しました。

(2007年9月撮影 写真②真珠母貝(白蝶貝)の貝殻。スールー王国の重要な輸出品の1つだった。)

スールー諸島の中心地ホロ島は「真珠島」という別名で西欧人のあいだで有名でした。16世紀以降にフィリピン諸島の北部を植民地化したスペインは、19世紀後半に至るまで、再三に渡ってスールー諸島を征服する企てを試みては失敗していました。こうしたスペインによるスールー諸島への遠征の動機の1つも同地の真珠の獲得にあったとされています。

こうした真珠の貿易は、とくに18世紀の半ばから19世紀前半にかけて最盛期に達しました。歴史家の研究によれば、この背景には当時の英国における紅茶への嗜好が関係しています。どういうことかと言えば、当時の英国国内での茶の需要の高まりに応じて、中国産の茶を輸入していたイギリスが、茶への対価となる中国向けの輸出品としてスールー諸島の海産物に注目し、これを中国に輸出したことを契機に一層、真珠貿易が活発になったのです。

具体的には、インドを拠点とするいわゆるカントリー・トレーダーと呼ばれる英国人商人らが中国から英国向けの茶を輸入し、その対価としてスールー王国から真珠や干しナマコ、鱶鰭などの海産物を中国に向けて輸出しました。そしてその海産物の対価として、インドから輸出されたインド産アヘンや英国製武器弾薬、綿織物などをスールー王国に輸出するという一種の三角貿易が行われていました。こうしてスールー諸島を舞台として、南シナ海の交易網とインド洋の交易圏とがリンクするような構造が成立したのです。しかしその後、イギリスによってシンガポールが東南アジアでの主要な交易拠点とされると、スールー諸島は真珠などの交易拠点としての地位を奪われていきました。

こうした紆余曲折がありましたが、その後もフィリピンではスールー産を含めた真珠が文化的にも重要な位置を占め続けてきました。たとえば真珠は、今でもフィリピンを代表する宝石とされています。また19世紀後半にスペインによって処刑されたフィリピンの国家英雄にして文学者のホセ・リサールは、その詩のなかでフィリピン諸島を「東洋の真珠」として詠い、その文句は現在のフィリピン国歌にも引用されています。近年ではフィリピン国内でも安価な中国産の淡水真珠などに押され気味ですが、パラワン島周辺などを中心として白蝶貝などを母貝とする真珠の養殖は今も盛んに行われています(写真③参照)。

(2004年7月撮影 写真③白蝶貝を母貝とする養殖真珠。) 

またごく珍しいケースではありますが、サマ人の漁師が真珠貝を採取した際の副産物として天然真珠を発見することがあります。最後の写真④は、偶然発見した黒蝶貝の天然真珠と、その母貝の貝殻を囲むサマ人の子供達です。

(2006年9月撮影 写真④黒蝶貝の貝殻と天然真珠を囲むサマ人の子供たち。) 

(床呂 郁哉)

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