2013年1月

レバノン週報(2013年1月21日〜1月30日)

今回の週報は1月30日に一時帰国するため、10日分をまとめて報告することにしたい。

ジョルジュ・アブダッラーの釈放問題を巡り、ベイルートのフランス大使館前などで抗議運動が行われていることは先週に触れたが、今週になっても同大使館周辺ではテントを設置しての座り込みといった活動が続けられている。こうした中でシャルビル内務相は1月21日に、翌日に開催予定の閣議においてアブダッラーのケースを取り扱う公式的な委員会の設置を提案する意向であることを表明した。なお、アブダッラーの釈放を求めるデモ活動はフランスでも内務省周辺で行われ、これまでに40人ほどが当局に拘束された模様である。

他方、イランでの参詣を終えて帰途についていたシーア派レバノン人11人が、シリア北部の都市アレッポで昨年5月下旬に反体制勢力によって誘拐された事件に関して、レバノン政府は引き続き、トルコの仲介努力にも期待しているようである。1月14日にはシャルビル内務相とイブラヒーム総合情報総局長がカタルを訪問する一方、30日にミーカーティー首相がエルドアン・トルコ首相とアンカラで会談した際には、依然として人質に取られている9人の釈放に向けた、同国政府の更なる助力に期待する旨の発言を行った。

ところで、レバノンの政治地図が大まかには「親アサド」の「3月8日連合」勢力と「反アサド」の「3月14日連合」勢力に二分される状況において、ミーカーティー内閣は3月8日連合出身閣僚が多数を占めている。ミーカーティー内閣が、3月14日連合主体のハリーリー内閣の総辞職を受けて成立したことと相俟って、同連合の「後ろ盾」であるサウジアラビアとミーカーティー首相との関係はこれまで、決して良好なものではなかった。ミーカーティー首相がスンナ派に属するにも拘らず、2011年1月の就任以来、サウジ政府高官と一度も会談してこなかったほどである。しかしながら、1月21日夜にはリヤドにて、ミーカーティー首相とサルマーン皇太子との会談が行われた。3月8日連合と3月14日連合との対立関係に今後どのような影響をもたらすのか、気にかかるところであるが、レバノンの国内政治に対する効果を疑問視する見方も出ている。

レバノン週報(2013年1月14日〜1月20日)

ベイルートの北35キロに位置するビブロスの一風景。

イランでの参詣を終えて帰途についていたシーア派レバノン人11人が、シリア北部の都市アレッポで昨年5月下旬に反体制勢力によって誘拐された事件に関しては最近、カタルの仲介努力に期待する動きが見られるようになっている。トルコの尽力により、若干の人質がこれまでに釈放されたものの、依然として9人が人質に取られていることから、レバノン政府はシリア反体制勢力に資金援助などを行っているカタル政府との関係を密にしつつある。事実1月14日には、シャルビル内務相とイブラヒーム総合情報総局長がカタルを訪問した。また、シリアにおける反政府武装闘争の主翼を担っている「自由シリア軍」関係者は16日に、ハリーリー前首相の要請に基づき、人質釈放に向けた仲介努力を再開する旨明らかにした。

今週は先週と異なり、人質の家族たちは目立った街頭行動には出なかった模様であるが、他方ではレバノン人のジョルジュ・アブダッラーの釈放問題を巡る、フランス大使館前などでの抗議活動が注目を集めた。アブダッラーは1982年にパリでイスラエル外交官や米駐在武官を殺害した容疑により、1984年に逮捕された後はフランスで終身刑の判決を受けて収監されてきたが、フランスの裁判所は先週になって、アブダッラーがレバノンへ送還される条件での釈放を決定した。しかしながら、仏内務省が1月14日までに命令書に署名しなかったために、釈放の遅れが抗議活動に結び付くことになった。14日の仏大使館を皮切りに、レバノン各地に存在するフランス文化センター周辺でもデモ活動が行われる中、シャルビル内務相は18日にパオリ駐レバノン・フランス大使と会見する一方、レバノンの人権活動家などはアブドッラーが条件付きの釈放に伴う要件を満たしているとして、釈放の即時実施を主張した。

なお、シリアで武装勢力が反体制闘争を主導するようになるにつれて、こうした勢力の一部がレバノン国境付近に拠点を構築していることから、同国への武器流入が懸念されるようになっている。レバノンの有力政治家に対する暗殺の警告もなされている状況で、1月18日には収監されているイスラーム主義者の釈放を求める武装グループが、カラーミー青年・スポーツ相の車列をレバノン第二の都市トリポリで襲撃する事件が発生した。カラーミー大臣は負傷しなかったものの、11人が負傷する事態となったことから、同大臣は19日に、自らの本拠地でもあるトリポリにおける武器の拡散阻止に向けた対策を政府が講じる必要性を訴える声明を発した。

※ 写真:2013年1月撮影
ベイルートの北35キロに位置するビブロスの一風景。
魚料理でも有名であるが、写真のような昔ながらの街並みも残っている。

レバノン週報(2013年1月7日〜1月13日)

イランでの参詣を終えて帰途についていたシーア派レバノン人11人が、シリア北部の都市アレッポで昨年5月下旬に反体制勢力によって誘拐された事件は、今週も様々な動きを見せた。先週の1月2日には、反体制勢力に影響力を有しているトルコ政府の努力が不十分であるとして、依然として人質に取られている9人の家族が同国営のトルコ航空の事務所前で抗議のピケを張り、またこれまでにはトルコ大使館前で抗議活動が行われてきている中、10日の舞台はカタル大使館となった。これは、カタルがトルコと並び、シリア反体制勢力に資金援助などを行っていることから、人質の釈放に向けた影響力の行使を期待してのことであるが、他方でシャルビル内務相は既にカタル政府との接触を開始している模様である。

他方で、人質の家族たちはシーア派組織の「ヒズブッラー」や「アマル運動」に対する不満を募らせている。と言うのも、家族たちが昨年に抗議活動の一環として道路封鎖などを行った際には、両組織からの要望に基づきそれを解除したものの、人質釈放に向けて具体的に動いていないためである。とりわけ、反体制勢力が釈放の条件として、ヒズブッラーを率いるナスルッラー書記長がアサド政権を支持してきたことに謝罪し、その姿勢を転換することを要求していることから、同組織は動きが取れない状況にあることは家族側も理解しているものの、昨年の8月と9月に2名が釈放されて以降、進展が何ら見られないことは彼らの苛立ちを強める方向に作用している。

なお、1月6日にはアサド大統領が久しぶりに公に姿を見せ、反体制勢力を「外国に支援されたテロリスト」と従来通りに形容した演説を行った。これに対して、「反アサド」を掲げる「3月14日連合」勢力や、昨年からアサド政権批判を強めているジュンブラート「進歩社会主義党」党首らは翌7日に、アサド演説を一様に非難した。ジュンブラート党首は特に、現実が見えていないとしてアサド大統領を激しく批判したが、「風見鶏」と言われている彼が今後どのような言動を取っていくのか、シリア情勢を推し量る指針の一つとして引き続き注目する必要があろう。

レバノン週報(2012年12月31日〜2013年1月6日)

アルメニア人街「ブルジュ・ハンムード」の一風景。

シリアにおける内戦状況がレバノンの政治社会情勢に様々な形で影響を与えてきている中で、オフィス周辺でも新年早々にそうした事態を実感させる出来事が生じた。1月2日の朝にオフィスが入居している建物に着くと、レバノン人の女性を中心とする一団と軍や警察の関係者がトルコ航空の事務所に通じる入り口で押し問答を繰り広げているのが見えた。と言うのも、イランでの参詣を終えて帰途についていたシーア派レバノン人11人が、シリア北部の都市アレッポで昨年5月下旬にシリア反体制派によって誘拐された事件に関して、依然として人質に取られている9人の家族が反体制勢力に影響力を有しているトルコ政府の努力が不十分であるとして、同国営のトルコ航空の事務所前で抗議のピケを張っていたからであった。

翌3日の新聞によると、シャルビル内務相による説得が功を奏して人質の家族は抗議運動をこれ以上拡大させることはなかったが、事件発生から半年以上が経過する中で2名が釈放されたのみであることから、今後の展開次第ではこうした抗議運動を再び目にすることもあり得よう。

さて、シリアからの難民問題を巡り、ミーカーティー内閣の閣僚間で見解の相違があることは先週のレポートで触れた通りであるが、難民への支援は人道面から喫緊の課題となっている。こうした中で、レバノン政府は1月3日に包括的なシリア難民対策計画を採択すると共に、国際社会に対して1億8000万ドルの資金提供を求めた。他方、「親アサド」の「3月8日連合」勢力に属するバースィール電力水資源相は、シリア難民の更なる流入を規制するためにレバノン・シリア国境の閉鎖を求める提案を行ったが、こちらは大多数の閣僚の反対により否決された。

なお、レバノン駐在のドイツ大使は1月3日にミーカーティー首相と会談し、その後に同国がシリア難民対策費として1900万ドルの追加資金提供をレバノンに行う意向であることを表明した。このように、シリア難民支援の枠組みは少しずつ整いつつあるものの、レバノンはとりわけ1990年の内戦終了後から2005年までシリアの「支配」下に置かれていたことから、レバノン人の中にはシリア人に対して露骨な嫌悪感を示す人もおり、支援の在り方に対する国内コンセンサスが形成出来ない状況となっている。

※ 写真:2012年11月撮影
ベイルートの北東部にあるアルメニア人街「ブルジュ・ハンムード」の一風景。
この写真に見られるように、貴金属店が多く軒を連ねている。
なお、ユリウス暦を採用しているアルメニア正教においては、1月6日がクリスマスとなる。

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