2012年5月

レバノン週報(2012年5月28日〜2012年6月3日)

イランでの参詣を終えて帰途についていたシーア派レバノン人が、シリア北部の都市アレッポ近郊で誘拐される事件が5月22日に発生したが、高齢者女性や子供を除く11名は現在に至るまで、人質として拘束されている。そこで、シーア派組織「ヒズブッラー」を率いるナスルッラー書記長が当初は水面下で動いた模様であるが、シリア反体制派に属する誘拐犯の側が、同書記長がシリア政府による弾圧を支持してきたことに謝罪し、その姿勢を転換することなど、ナスルッラーにとって受け入れがたい要求を出していることから、現在はミーカーティー首相に本事件への対応が一任されている。そこで、ミーカーティーは5月30日から翌31日にかけて、シリア反体制派との関係が深いトルコへの訪問を行い、エルドアン首相らと会談したが、人質解放に向けた動きは表立って進展していないようである。

他方でレバノン北部の都市トリポリにおいては、シリア情勢の影響を受けたスンナ派とアラウィー派(シーア派の一部とされている)の武力対立が最近頻繁に発生している中、今週末には最大規模の衝突が見られた。シリア反体制派の主要組織「自由シリア軍」が、アサド政権が6月1日の午前9時(GMT)までに、シリア和平を求める「アナン・プラン」に基づく停戦を実現しないならば、戦闘を激化させるとの声明を出していたことから、トリポリでの事態の展開が注目されていた。結果的には、レバノン国軍がトリポリに増派されたこともあり、3日の午後遅くまでに同地におけるスンナ派とアラウィー派の武力対立は概ね収まったが、この過程で14名が死亡し、また少なくとも52名が負傷したと報道されている。シリア情勢、並びにトリポリにおける両派の対立に根本的な解決がなされたわけでないことから、 4日発行のレバノンの仏語紙L’ Orient Le Jourが、「トリポリ:何度目かの一時的な平静への回帰」とのトップ見出しを付けているように、今後もこの種の対立が同地で再燃する可能性は高いと言えよう。

このように、レバノンにおいて部分的とはいえ宗派対立が持続していることから、スライマーン大統領は5月28日に、2010年以来中断されている「国民対話会合」(レバノンの抱えている重要問題を話し合うために、主要な政治・宗教指導者が参加)の、6月11日召集を決定した。しかしながら、スンナ派組織「未来潮流」が率いる「3月14日連合」側は、国民対話会合への参加の前提として、ヒズブッラーが率いる「3月8日連合」の影響力が強いミーカーティー内閣の辞任や、2013年に予定されている国会議員選挙を睨んだ「中立的な」内閣の樹立、更には両連合同士の主要対立点であるヒズブッラーの武装問題を同会合で取り上げることを主張している。「野党」の3月14日連合サイドのこうした要求は基本的に、3月8日連合にとって受け入れがたいものであることから、3月14日連合に属する指導者が国民対話会合に参加することは現時点で期待薄とされており、故に同会合がレバノン情勢の安定化に大きく資することはないと見られている。

レバノン週報(2012年5月21日〜5月27日)

レバノン南部の中心都市サイダー(シドン)の裏通り風景。

北部レバノンのアッカールにおけるレバノン国軍のチェックポイントにて、スンナ派の聖職者2名が同軍からの発砲を受けた末に死亡するという事件が5月20日に発生したのに伴い、古タイヤを燃やすなどのスンナ派による抗議活動が北部の都市トリポリや南部の都市サイダー、ビカーア地方の町のみならず、首都ベイルートでも即日に見られたが、翌21日の夜明けまでには概ね収まった。しかしながら、ベイルートのタリーク・アル=ジュダイダ地区において、スンナ派組織「ムスタクバル潮流」支援者と、シーア派組織「ヒズブッラー」と近しい関係にある「アラブ潮流党」支援者が、20日深夜から翌日未明にかけてライフル銃やロケット弾で交戦し、死者3名と負傷者10名を出すに至った事態が発生したことや、スンナ派の宗教指導者がゼネストを呼びかけたこともあり、21日は多くの企業や商店などが業務をストップした。なお、21日夕方には、スンナ派とアラウィー派(シーア派の一部とされている)の武力対立が最近頻繁に発生しているトリポリにおいて、スンナ派が再び抗議活動に出たが、大きな騒ぎにはならなかった。

他方、イランへの巡礼帰りの途中のシーア派レバノン人11名が、北部シリアの都市アレッポ近郊で誘拐される事件が5月22日に発生すると、今度はシーア派がベイルート周辺で抗議活動を行った。幸い、ヒズブッラーを率いるナスルッラー書記長が支持者に自制を呼びかけたことから、20日から21日にかけて発生したような事態にはエスカレーションしなかったが、アラウィー派主体のアサド政権とスンナ派主体の反体制派との対立と大まかに規定可能なシリア情勢の影響を受けて、レバノンにおけるスンナ派とシーア派の関係が以前にも増して悪化していることは事実であろう。

こうした中、レバノンにおけるスンナ派とシーア派の政治・宗教指導者は共に、事態の悪化を防ぐために関係者が対話を行うことの重要性は認識しているようである。けれども、ムスタクバル潮流の指導層が対話を行う際の前提として、ヒズブッラーの影響力が強いミーカーティー内閣の辞任を求めている一方、同首相には辞任の意思がないことから、対話の実現可能性には疑問符が付けられる現況である。

※ 写真:2012年5月撮影
レバノン南部の中心都市サイダー(シドン)の裏通り風景。
周辺には市場も存在するため、買い物時間には多くの人で賑わっていた。

レバノン週報(2012年5月14日〜5月20日)

先週報告した北部の都市トリポリにおけるスンナ派とアラウィー派の武力対立は結局、5月14日になってようやく終息を迎えた。12日からの三日間に及ぶ対立で、少なくとも7人が死亡し、100人以上が負傷したが、その後は14日に散発的な衝突が発生したものの、両派の停戦は概ね維持された。また、トリポリにおける宗派対立が波及することを恐れ、南部の都市サイダーでは同地の政治・宗教指導層が急遽、治安問題を話し合う会合を持った。

トリポリでの衝突がレバノン国軍の展開により何とか抑えられてきていた中、5月20日には北部レバノンのアッカールにおいて、スンナ派の聖職者2名が銃撃された末に死亡するという事件が発生した。この内の一人アブドゥル・ワーヒドが、シリアのアサド政権に対する敵対姿勢で有名であったため、事件発生直後からスンナ派組織「ムスタクバル潮流」所属議員らを中心に、シリアのアサド政権のみならず、同政権と関係の深いイランやシーア派組織「ヒズブッラー」の関与を疑う声明が出された。しかしながら、実際にはレバノン国軍のチェックポイントで同軍からの発砲を受けていたことが同日中に判明したことから、ムスタクバル潮流は国軍の「中立性」を問題視するようになっている。レバノン国軍は現在、事件に対する捜査を行っているが、既に将校2名と兵士19名が尋問を受けている模様である。

スンナ派の怒りは事件発生後直ぐに高まり、アッカールでは同派の標的となることを恐れ、レバノン国軍が一時的な撤退を開始した。また、トリポリやサイダー、ビカーア地方の町のみならず、首都ベイルートでもスンナ派が古タイヤを燃やすなどの抗議活動を行った。ベイルートにおいては、南に位置するタリーク・アル=ジュダイダ地区において、ムスタクバル潮流支援者と、ヒズブッラーと近しい関係にある「アラブ潮流党」支援者が、5月20日深夜から翌21日未明にかけてライフル銃やロケット弾で交戦し、死者3名と負傷者10名を出すに至った。これまでベイルートにおいては、「反アサド」と「親アサド」のデモ隊が時折衝突した際に負傷者が生じたことはあったが、今回のようにシリア情勢に関連して死者が出たことはなかった。アサド政権と反体制派との対立状況が長引いている中、懸念されていたベイルートの治安悪化が現実となってしまったが、他方で20日にはホテルの予約キャンセルが早速始まっており、観光シーズンを前にしてレバノン経済への影響も気にかかるところである。

レバノン週報(2012年5月7日〜5月13日)

トリポリの旧市街で見かけた治安部隊の拠点。

レバノンはシリア情勢の余波を様々な形で受けてきているが、その中で治安面から懸念されているのが武器の流入と宗派対立の悪化である。レバノン国軍は4月27日に、シリアの反体制派に向けた武器を輸送していたとされるシエラレオネ船籍の貨物船を、レバノン第二の都市トリポリに向けて航行中に拿捕したが、同国軍は5月7日に、トリポリ港で中古車を積載していた貨物船から武器を押収した。この貨物船の出港地や目的地は不明であるが、シリア政府はトリポリが同国の反体制派に対する支援の温床になっており、また同都市を含む北部レバノン地域から同国に向けた武器密輸に関して不満を表明している。

シリアのアサド政権と反体制派との対立は、必ずしも宗派の枠で捉えきれるものではないが、政権側がアラウィー派(シーア派の一派とされている)主体であり、反体制側がスンナ派主体であると見なすことは可能である。

こうした中で、アサド政権が1982年に、スンナ派組織「ムスリム同胞団」に対する大規模な壊滅作戦を中部の都市ハマーにおいて行ったのを契機に、多くの同胞団員がトリポリに逃れてきたことから、同都市がシリア反体制派の拠点になっていることは事実である。しかしながら他方で、トリポリにはアラウィー派も居住しており、彼らは基本的にアサド政権支持と見られている。レバノン、更には中東の政治が、スンナ派とシーア派の対立構造で語られることが多い状況を受けて、昨年3月にシリアで反体制運動が発生する以前から、トリポリにおいてはスンナ派とアラウィー派が武力を伴った対立を繰り広げてきていたので、同都市に対するシリア情勢の影響が懸念されていた。トリポリにおけるこれまでの対立は比較的小規模であったが、5月12日から翌13日にかけて発生した対立はやや規模が大きく、レバノン国軍が展開して事態の鎮静化を図っているにも拘らず、本レポートを執筆している14日にも再燃している模様である。スンナ派とアラウィー派共に重火器を使用している事態から、シリア情勢の影響を受けたレバノンに対する武器流入の増加の一端が、トリポリにおけるこの対立に垣間見られ、更にはレバノンにおける政治地図に影響を与えるとの指摘もなされている。

なお、ベイルートにおいてもスンナ派とシーア派が通りを挟む形で居住している地域もあり、そこではしばしば両派の小規模な対立が発生してきている。従って、トリポリにおける週末の対立が首都に波及してこないか、懸念されるところであるが、現時点では特に警備が厳しくなっている気配はない模様である。

※ 写真:2012年5月撮影
トリポリの旧市街で見かけた治安部隊の拠点。
なお、奥のポスターの写真はサウジアラビアで現在療養中のサァド・ハリーリー前首相で、トリポリにおいても一定の支持層を有している。

レバノン週報(2012年4月30日〜5月6日)

レバノン国軍が同国の領海内において4月27日に、シリアの反体制派に向けた重火器を含む武器を輸送していたとされるシエラレオネ船籍の貨物船を拿捕し、翌日にベイルートの軍施設に入港させた事件について捜査を進めている中、アリー駐レバノン・シリア大使が5月2日にコメントを発表した。その中身は、シリア政府が反体制派に対する国外からの支援を述べる時に必ず言及される、カタルとサウジアラビアを含む湾岸諸国の関与を示唆したものであったが、尋問に備えて拘束されている乗組員11人がアラブ国籍や域外諸国など様々な国籍を有することから、事件の解明には時間を要することが見込まれている。なお、シリア国軍からの脱走兵で構成されている「自由シリア軍」は1日に、この貨物船とは関わりがない、との声明を発した。

昨年3月にシリアで反政府運動が開始されて以来、レバノンを含む近隣諸国からシリアへ向けての武器密輸が急増しているが、これに乗じてレバノン国内でも以前よりも多くの武器が出回っていないかどうか懸念されている。4月4日の、キリスト教組織「レバノン軍団」を率いるジャアジャア指導者に対する暗殺未遂事件を含め、シリア情勢とは直接に関係なく、政治家やジャーナリストが命を狙われるケースが先月には2回発生しているが、当局の捜査は捗捗しくない模様である。こうした中でジャアジャアは30日に改めて、敵対しているシーア派組織「ヒズブッラー」や、キリスト教組織「自由国民潮流」が自らに向けられた事件の背後にいるとの認識を示したが、他方で「内務治安軍総局」は5月3日に、事件はプロフェッショナルの仕業である、とのみ発表した。

レバノンにおいては対イスラエル武装闘争という名目の下、ヒズブッラーが組織的かつ公然と武器を保有しているが、その他の政治組織も大なり小なり武器を保有している。シリア情勢の展開の余波として、レバノン在住組織の武装化が進むことが懸念されているが、ジャアジャアは先の4月30日の声明においてこの点を予測している。国家が頼りないからこそ、自衛する必要があるとの認識のようであるが、レバノン内戦中に民兵組織の指導者であった人物が、武装化を煽るような発言をしていることには留意する必要があろう。

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