2011年7月

レバノン週報(2011年7月25日〜7月31日)

ラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)元首相爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」は7月30日、シーア派組織「ヒズブッラー」のメンバーである容疑者4名の名前を公表した。6月30日に、レバノン特別法廷からの起訴状がレバノン当局に手渡されて以来、4名の名前は既に、レバノンの新聞紙上などで報じられていたが、同法廷サイドとしては初めて公式に明らかにした形となった。ヒズブッラーのナスルッラー書記長は、容疑者の逮捕は300年かかっても実現出来ないだろう、と述べてきているが、レバノンの司法当局は8月11日までに、7月中に容疑者逮捕に向けて取った動きを、レバノン特別法廷側に報告する義務を負っている。現時点では、具体的な動きは全く表に現れてきていないが、来月、とりわけ12日以降のレバノン情勢の展開に注視する必要があろう。

他方で7月26日には、5月27日のケースと同様、南部のサイダー近郊において、道路脇に仕掛けられた爆弾により、「国連レバノン暫定軍」(UNIFIL)の車列が攻撃を受けた。この攻撃により、乗車中のフランス人兵士6名が負傷した模様であるが、5月のイタリア人兵士6名の負傷事件の背景が未だ不明な中、新たな事件が発生したことになった。南部ではこれまでも、UNIFILに対する攻撃がここ数年断続的に発生しており、何れも原因は究明されていないが、前の攻撃から2ヶ月後といった頻度ではなかった。今回の攻撃事件も「迷宮入り」する可能性が高いが、南部においてはヒズブッラーの影響力が強いとはいえ、「独自な」行動をしてきているパレスチナ武装組織も存在している。また、反体制運動に対する弾圧に関して、国際的な非難が高まっているシリアのアサド政権が、批判の眼を逸らす為に、レバノンにおける「子飼いの」組織や人物などを使って、こうしたUNIFILに対する事件を引き起こしているとの指摘もなされている。

なお、イタリアは事件発生翌日の7月27日に、UNIFILに現在派遣している兵士1780名の内、700名を本国に帰還させる方向の動きを取り始めた。UNIFILに対しては、「ただ監視しているだけ」との批判がレバノン内外でなされているが、2006年の「レバノン戦争」終結後、同軍の存在がレバノン・イスラエル関係の大幅な悪化を防ぐのに貢献してきたことは事実である。故に、UNIIFILに自国兵を派遣してきている他国が、イタリアの動きに今後追随するかどうか、地域情勢の観点から気がかりなところである。

レバノン週報(2011年7月18日〜7月24日)

ラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)元首相爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」や、シーア派組織「ヒズブッラー」の武装といったイシューは、変わらずレバノンの国論を二分している。こうした中で、スライマーン大統領やミーカーティー首相は今週になって、中断して久しい「国民対話会合」(国内主要勢力の指導者が参加)の再開を呼びかける声明を発出した。しかしながら、野党の「3月14日連合」勢力側が、国民対話会合の議題はヒズブッラーの武装問題に限る、との条件を提示しているため、開催が危ぶまれている状況である。他方で与党の「3月8日連合」勢力側は、同連合の中核的存在であるヒズブッラーを率いるナスルッラー書記長が、7月19日の声明で明らかにしたように、国民対話会合の議題に留保条件を付ける意向はない模様である。

このような3月14日連合と3月8日連合の国内対立は今のところ、政治的なレベルで留まっているが、シリア情勢の展開が両者の関係にどのような影響を与えるのか気がかりなところである。と言うのも、シリアにおいてアサド政権に対する反体制運動が3月半ば以来続いている中、基本的に3月14日連合が反体制側を、3月8日連合が現政権を、それぞれ支持しているからである。レバノンではこれまで、在住シリア人も加わったアサド政権支持、若しくは反体制運動支持のデモが散発的に発生してきているが、7月24日には政権支持側がハムラー地区でデモ行進を行った。当日は昼間から、ヒズブッラーの支持者が党旗を掲げた車を流していたが、夕方には同組織のみならず、3月8日連合に属する「アマル運動」や「シリア社会民族主義者党」の支持者も加わり、200〜300人程度がバッシャール・アサド(B・アサド)大統領やナスルッラーの顔写真を掲げて行進した。筆者の体調が優れなかったことから、撮影する余裕がなかったのが悔やまれるが、周辺住民やホテルにいる観光客たちの多くはバルコニーに出て光景を眺めたり、或いは携帯で撮影していた。しかしながら、大っぴらに支持を表明している住民は拙宅の周りでは見当たらず、デモ隊は直ぐに場所を移動していった。

レバノン週報(2011年7月11日〜7月17日)

国会議事堂の正面にあるカフェPLACE DE L'ETOILE

ラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)元首相爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」から、容疑者とされたシーア派組織「ヒズブッラー」メンバー4人の逮捕が求められているレバノン当局であるが、現時点ではどのような動きが具体的に取られているのか、不明である。7月13日には、「インターポール」が国際逮捕状を発出したことから、同機構の加盟188カ国には捜査協力が要請されることになったが、当のレバノンにおける特別法廷との関係を巡る国論の分裂は、各国の姿勢を消極的にさせる一因となろう。

レバノン国内の動きとしては、ジュンブラート「進歩社会主義者党」党首が11日に、レバノン特別法廷との関係を断ち切ることに反対の意を表明した。

更に、ヒズブッラーがこれまで、米国とイスラエルは同組織を貶めるために、レバノン特別法廷を「政治利用」している、と主張を繰り返してきているのに対して、キリスト教マロン派を率いるラーイー総大司教は同日、同法廷の「政治性」が証明されるまでは、協力していく必要があることを発言した。

このように、レバノン情勢の先行きからは、どうしても特別法廷の動きに注目せざるを得ないが、他方ではシリアからレバノンへ入国直後、ビカーア県のザハレで誘拐されていたエストニア人観光客7人が7月14日、4か月ぶりに釈放された。かなり長い間、シリアで拘束されていた模様であるが、これまでにエストニアの外務大臣など、高位の政府関係者が幾度となくレバノンを訪問し、早期解放を訴えていた。最終的には、フランスの介入が奏功したようであり、7人は帰国前に、在ベイルートの仏大使館で謝意を表した。当日、知人がたまたま仏大使館前を通ったところ、警備がいつも以上に厳しく、かなりの数のマスコミが集まっていたとのことである。

このエストニア人誘拐に関しては、反体制勢力との対峙を続けているシリアのアサド政権が、国際的な関心を逸らす為に行ったことであると、レバノン内ではまことしやかに語られている。犯人は未だ特定されていないが、シリア人が何らかの形で関わっているのは確実と思われる中、本事件を巡る捜査は今後、レバノン・シリア関係に影響を与えると同時に、その影響を受けることにもなろう。

※ 写真:2011年7月撮影
国会議事堂の正面にあるカフェPLACE DE L’ETOILE。場所柄、議員の利用も多く、またラフィーク・ハリーリー元首相が爆殺直前に、最後のコーヒーを飲んだことでも知られている。左側の建物はギリシア正教のセント・ジョージ教会。

レバノン週報(2011年7月4日〜7月10日)

JaCMESの正面に位置するサン・ジョージ・カテドラル。

先週の6月30日にラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)元首相爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」からの起訴状がレバノン当局に手渡された結果、同当局には容疑者とされたシーア派組織「ヒズブッラー」メンバー4人の逮捕が求められることになった。この結果、レバノン特別法廷に対する敵意を剥き出しにしてきたヒズブッラーの出方が注目されたが、ナスルッラー書記長やカーシム副書記長、ラアド議員などが頻繁に、非難の声明を発出するに留まっている。他方でレバノン特別法廷側は7月4日、2日のナスルッラー演説(同法廷の主要メンバーが米中央情報局と関わりがあることなどを主張)を否定する発言を行った。

こうした中で、ミーカーティー内閣の施政方針に対する国会審議が7月5日から7日にかけて行われた。与党の「3月8日連合」勢力、野党の「3月14日連合」勢力、その他「中立系」の議員ら総計58名が施政方針に対する見解を述べたが、焦点はレバノン特別法廷であった。ミーカーティー首相は、レバノン特別法廷の活動を注視していく、との見解を繰り返したが、対する3月14日連合側は同法廷との協力を明言するように要求した。

結局、最後まで両者の見解が歩み寄ることなく、3月8日連合所属議員を中心とする68名からの信任を得、ミーカーティー内閣は7日に正式発足した。なお、3日間の国会審議に対してはレバノン国内で大きな関心が寄せられ、バスやセルビス(乗合タクシー)の中でもラジオ中継がかかっている状況であった。

1月25日になされたミーカーティーの首相任命以来、5ヶ月強を経ての正式発足であったが、同政権を取り巻く内外の環境は厳しいのが現実である。レバノン特別法廷に対しては今月中に、容疑者らの逮捕に向けて取った措置を報告する義務を負っているが、300年かかっても逮捕出来ないだろう、とナスルッラーが述べていることから、ヒズブッラーの協力を得ることはほぼ不可能な状況である。レバノン特別法廷側は7月10日、容疑者の逮捕に向けて「インターポール」からの協力を要請したことを明らかにしたが、今後どのような動きが具体的に取られるのか、注目されるところである。また、国内情勢の不透明さのみならず、「アラブ革命」の余波も受け、レバノン経済の「牽引車」である観光業も打撃を受けていると言われている中、大学を卒業した若者の失業が深刻な問題となっており、この面での早急な対処もミーカーティー内閣に要請されている。

※ 写真:2011年7月撮影
JaCMESの正面に位置するサン・ジョージ・カテドラル。キリスト教・マロン派にとっては、ベイルートにおける象徴的存在であるため、同派の有力関係者の冠婚葬祭が執り行われることも多い。

レバノン週報(2011年6月27日〜7月3日)

JaCMESの入っている建物のすぐ東隣、映画館・劇場としての用途を見込んでいた建物。

ミーカーティー内閣は6月13日の樹立後、正式発足に必要な国会承認を得るべく、施政方針の作成に取り掛かってきた。しかしながら、ミーカーティーが言うところの「国際公約」に該当する事柄に対して、首相側とシーア派勢力「ヒズブッラー」との見解が異なっていることから、その調整に時間がかかってきた。ヒズブッラーを中軸とする「3月8日連合」勢力出身、若しくは同連合と関係の深い閣僚が18名、残り12名がミーカーティーやスライマーン大統領、ジュンブラート「進歩社会主義者党」党首何れかと近しい関係にあるという構成は、レバノン憲法第69条の規定に基づき、両サイド共に閣僚辞任という手段によって内閣を崩壊させることが出来る点で、政策に対する「拒否権」を有している。そこで、ミーカーティーは本年1月25日の首相任命以来、5ヶ月弱を経ての組閣を実現させただけに、ヒズブッラーとの調整に意を注いできた。

その結果、6月30日にようやく施政方針が閣議決定されたが、最も解決が難しいと見られていた、ラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)元首相爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」を巡る問題に関しては、「玉虫色」の決着となった。ミーカーティーはこれまで、レバノン特別法廷が国連安保理決議1757号を法的根拠にして設置されているため、同決議を遵守していく意向である、とのことを折に触れて表明してきた。しかしながら、レバノン特別法廷がヒズブッラー・メンバーを訴追することが確実視されている中、同組織を率いるナスルッラー書記長は繰り返し、その正当性を疑う声明を発出してきており、また「施政方針作成閣僚委員会」においては、ミーカーティーとフナイシュ行政改革担当国務相(ヒズブッラー出身)が、特別法廷に対する方針をめぐって論争を繰り広げた。この結果、採択された施政方針においては、国際決議全般に対する尊重や、R・ハリーリー事件に対する真相究明の必要性は盛り込まれたものの、レバノン特別法廷に関しては、その活動を注視していく、との表現に留まった。これに対して、R・ハリーリーの子息サアド・ハリーリー(S・ハリーリー)率いる「3月14日連合」勢力は7月3日に声明を発出し、ミーカーティー首相に対して、レバノン特別法廷と協力するのか、そうでなければ首相職を辞任するのか、5日までに明らかにするように求めた。

折も折、施政方針が定まった6月30日には、レバノン特別法廷からの起訴状がレバノン当局に手渡され、容疑者とされたヒズブッラー・メンバー4人の逮捕が求められることになった。レバノン政府は少なくとも30日以内に、同容疑者らの逮捕に向けて取った動きをレバノン特別法廷側に対して報告する義務を負っているが、具体的な動きを取ることはヒズブッラーが同法廷を敵視していることから、国内情勢の安定を考慮するならば実質上不可能である(事実、レバノン特別法廷が容疑者の訴追手続きを執ったことを発表した本年1月には、ヒズブッラーはベイルート内外で即座に示威行動を取った)。なお、ナスルッラーは7月2日の夜に演説をし、レバノン特別法廷には一切協力しないことを改めて明言すると共に、特別法廷の主要メンバーが米中央情報局(CIA)と関わりがあること、また同法廷がイスラエルによる関与の可能性を調査すること、などを訴えた。2日のナスルッラー演説は1時間15分と短かったが(通常は2時間)、対立関係にあるS・ハリーリー所有の「フューチャー・テレビ」までが同時中継しており、故に国営を含めたレバノンのテレビ局全てが中継を行う結果となった。

このように、レバノン特別法廷を巡る問題が週の後半になって政治の前景にことさら出てきたが、懸念されていた治安情勢の悪化は発生しなかった。しかしながら、3月14日連合側が政権に対する態度を硬化させており、またヒズブッラーに対する国際的な眼が一層厳しくなっている中、イスラエルの動きも注目されることから、国内・地域的な動きを注視していきたい。

※ 写真:2011年7月撮影
正面の「奇妙な」形の建物は、映画館・劇場としての用途を見込んでいたものの、内戦により完成せず、そのまま放置されている。内戦中、東西のベイルートを分断していた「グリーン・ライン」の近くに位置することから、銃痕も多数見受けられる。JaCMESの入っている建物のすぐ東隣。

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