2011年3月

レバノン週報(2011年3月7日〜3月13日)

1月25日の首相任命以来、ミーカーティーは新内閣の樹立に向けて各勢力と会談を続けているが、進捗状況は芳しくないようである。報道によると、「3月8日連合」勢力に属するキリスト教勢力、「自由国民潮流」を率いるアウンが、ミーカーティー次期首相やスライマーン大統領の観点から、「過大な」要求をしてことが大きいようである。しかしながら、次期ミーカーティー内閣の定員が30人との見通しが固まる中、アウンは最近になって、当初の12人という自派出身者、若しくは自派と関係の深い人物による入閣要求を緩和し、11人、場合によっては10人でも受諾する意向のようである。しかしながら、内閣形成においては、単に数の問題のみならず、「重要ポスト」(内務地方行政、国防、財務、外務)を巡る駆け引きもあり、その中ではスライマーン大統領が自らの「側近」であるバールード暫定内務地方行政大臣の留任を強く望んでいるのに対して、アウンが自派出身者の登用を要求していることから、まだまだ時間がかかりそうな状況である。

こうした中で「3月14日連合」勢力は、結成6周年記念式典に向けた準備を進めた。ラフィーク・ハリーリー爆殺事件を取り扱っている「レバノン特別法廷」をめぐり、シーア派勢力「ヒズブッラー」との対立を深めているサァド・ハリーリー暫定首相側は、同勢力が保有する武器の問題に焦点を当て、ネガティブ・キャンペーンを展開した。オフィスへの行き帰りにおいても、ヒズブッラーの武器を問題視するポスターなどが目につくようになり、また記念式典会場であるベイルート中心部の「殉教者広場」では、前日(3月12日)の昼間から椅子などの搬入準備が始まった。サァド・ハリーリーが首相の座を追われたことから、どの程度のものになるか見物であったが、蓋を開けてみると数十万人が参集したとのことであった。

この背景には、日曜日である3月13日の開催としたことで、3月14日連合側の大規模な動員が可能になったことに加え、暖かな春日和であったことも作用した。キリスト教勢力「レバノン軍団」を率いるジャアジャア党首や、同じくキリスト教勢力である「カターイブ党」を率いるジュマイイル党首などの演説に続き、「真打」として登壇したサァド・ハリーリー暫定首相は、ヒズブッラーによる武器保有のみならず、同勢力によるレバノン特別法廷に対する敵対視をも非難する発言を繰り返す中、遂には上着を脱いでTシャツ1枚となった。動員された面は無視できないものの、3月14日連合もまだそれなりに力を持っていることを、レバノン内外に印象付けることには成功したようである。

レバノン週報(2011年3月14日〜3月20日)

先週に発生した日本の地震、更には原発の問題はレバノンでも大きな関心を持たれており、多くのレバノン人からお見舞いの言葉を頂いた。皆様の心遣いには大変励まされたが、日本の状況が必ずしも充分に把握出来ないため、被害状況などの説明にかなり苦労したこともあった。 

さてミーカーティー次期首相が率いることになっている新内閣の形成は、大きな進展が見られないまま今週も終わってしまったが、その他の面ではいくつか注目すべき動きがあった。一つは高齢(90歳)を理由に、既に引退の意向を表明していたキリスト教マロン派のスファイル総大司教に代わり、ラーイー氏が3月15日に選出されたことである。同氏は選出後、レバノン各界からの表敬訪問を受け入れていたが、18日にはシーア派勢力「ヒズブッラー」代表団の訪問を受け入れた。前任のスファイルがヒズブッラーの武装について問題視する発言を、とりわけ最近2年ほど繰り返してきた結果、マロン派宗教界とヒズブッラーの関係は悪化していたが、両者の関係修復に向けた布石となるかどうか注目されるところである。

今週のもう一つのニュースとしては、バハレーンでシーア派が弾圧されたことにより、オフィス近くの国連「西アジア経済社会委員会」(ESCWA)ビル前において、シーア派による抗議活動が発生したことである。3月16日の午後5時前位からオフィスの前を、ヒズブッラー支持者のみならず、同じくシーア派勢力である「アマル運動」の支持者らが旗を持ちつつ行進し始めたので、自宅に戻るためにバスが走っている道路に出たところ、来るバス全てから支持者たちが下車している状況であった。彼らが降りた後に乗ってもよかったのだが、支持者以外のレバノン人たちが歩いてハムラー地区に行くようであったので、彼らの横を歩いて自宅に帰った。翌日の新聞によると、2000人ほどが集結したとのことであるが、大きな騒ぎにはならず終結した。

レバノン週報(2011年3月21日〜3月27日)

1月25日の首相任命以来、ミーカーティーが新内閣の樹立に向けて各勢力と会談を続けてきた結果、最初の組閣案が3月22日にスライマーン大統領に提出された。レバノンにおいては、大統領が組閣法令を公布することで内閣が樹立され、その後は内閣の施政方針に対する国会承認を得て正式発足となるが、結果的にはスライマーンによる法令公布がなされなかったことから、樹立には至らなかった。この組閣案はこれまで流布されてきた30人ではなく、26人という定員のものであったが、「宗派上の理由」によりゴーサインが出なかったと言われている。なお、この案においては、組閣に様々な注文を付けていると言われているアウン党首率いるキリスト教勢力「自由国民潮流」の「取り分」は、8名とされていた。その中には法務大臣やエネルギー・水資源大臣のポストも入っていたが、同党首が最も拘っていると言われている内務地方行政大臣のポストは引き続き、大統領の「側近」と言われているバールード暫定大臣に割り当てられていたとのことである。

こうした中で、ミーカーティー次期首相は週末に、新たな30閣僚から成る内閣案を提示したとされている。また、この新内閣案に対する合意がなされなかった場合に備えて、20閣僚から成る「テクノクラート内閣」案をもミーカーティーは持っているようである。3月半ば以来、拡大する民主化要求に晒されているシリアのバッシャール・アサド政権は速やかな内閣樹立を望んでいると言われているが、同政権が今後、国内問題に傾注せざるを得なくなった際には、さてどのような影響がレバノンで現れようか。

レバノン週報(2011年3月28日〜4月3日)

新内閣の樹立が遅れている要因に関しては様々な報道が出ているが、大まかなところは以下のようである。一つは、ミーカーティー次期首相が、閣僚数20名の「テクノクラート内閣」構想をも持っているとも報じられているが、基本的には「3月8日連合」勢力出身者を軸とする定員30名の内閣樹立を望んでいる中、同連合に属するキリスト教勢力の「自由国民潮流」を率いるアウン党首が自派出身者、若しくは自派と関係の深い人物の入閣数に関して「ゴリ押し」をしていることである。アウンが12名という数字に拘っているとされ、他方でミーカーティー側が9名という枠を考えていると言われている状況において、シーア派勢力「ヒズブッラー」を率いるナスルッラー書記長は3月30日、ミーカーティーとの会談において、アウンを説得することを約束した。ヒズブッラーはアウンに対して、10名という「取り分」に同意させようとしているが、「12」と「10」という数字では、新内閣におけるアウンの影響力行使に大きな違いが出ることは留意すべきである。すなわち、レバノン憲法においては、三分の一を超える閣僚数が辞任した場合に、当該内閣は崩壊に至ると規定されていることから、30名定員の内閣が樹立された場合に、11名以上の自派出身閣僚を持つことはアウンにとり、当該内閣の政策に対する「拒否権」を有することになるのである。

その他の内閣樹立阻害要因としては、内務地方行政大臣ポストを巡るスライマーン大統領とアウンの対立がある。同大統領の「側近」とも言えるバールード暫定内務大臣の留任に関しては、キリスト教マロン派を率いるラーイー総大司教も3月28日に支持する旨の発言を行ったようであるが、このようなマロン派内部における見解の相違も、内閣の樹立を遅らせている一因となっている。また、同一宗派内部の対立としては、ミーカーティーが同じスンナ派に属し、かつ同じく北部の都市トリポリに政治基盤を有するファイサル・カラーミー(ウマル・カラーミー元首相の息子)の入閣に対して、反対を表明していることも存在し、ファイサル・カラーミーがヒズブッラーの支持をも得ていることから、この問題も解決に時間を要しよう。

このように、内閣樹立に向けたハードルはかなり高いと言えるが、ミーカーティー筋は4月3日、降板する意向がないことを表明した。他方で、民主化要求に晒されているシリアのバッシャール・アサド政権は、レバノンのスンナ派勢力「未来潮流」が同国の民主化運動に武器を送っているとの非難を行っているが、未来潮流側は3月29日、シリア側の主張を一蹴した。ことの真偽はともかく、シリアの政情が落ち着くまでは同国からのこうした非難はなされると思われ、レバノン情勢に今後どのような影響をもたらすか、注目されるところである。

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