2011年1月

レバノン週報(2011年1月3日〜9日)

年明け早々の多くの新聞は、エジプトにおけるコプト教徒襲撃事件の記事によって一面が埋められたが、週の後半になってレバノン情勢にもいろいろな動きが生じてきた。ラフィーク・ハリーリー爆殺事件調査を取り扱っているレバノン特別法廷が、近いうちに起訴状を予審判事に提出すると観測される中、同事件調査を巡る国内対立の解消に向け、残された時間はますます少なくなってきている。こうした中でビッリー国会議長は1月5日、同国際法廷への対応を巡って対立している「未来潮流」勢力とヒズブッラーそれぞれの「後ろ盾」である、サウジアラビアとシリアによる対立状況解消に向けた動き(「サウジ・シリア・イニシアティブ」)を利用し、事態が手遅れにならないように対立勢力に呼びかけた。

さて、サウジ・シリア・イニシアティブの中身は今のところ明らかになっていないが、最終的にはレバノン側に、特別法廷との協力関係の解消を求めることになりそうである。未来潮流を率いるサァド・ハリーリー首相の「後ろ盾」であるサウジアラビアはこれまで、特別法廷に対する支持を表明してきたが、メンバーを起訴されることが確実視されているヒズブッラーは、同法廷に対する敵対姿勢を強めている。サウジアラビアはこうした中で、父親を殺されたサァド・ハリーリーの、特別法廷を通じての真相究明に対する熱意を理解しているものの、政治的パワーのみならず、武力をも有するヒズブッラーの意向に添わない政策は、レバノン情勢を更に悪化させる可能性を持つことから、差し迫っている起訴状発出を前に、従来の方針を転換していると思われる。報道に拠れば、サウジ・シリア・イニシアティブがヒズブッラーやシリアの意向に添って、特別法廷との協力関係の解消をレバノン側に求めるといった事態を招かないように、米国はサウジアラビアに圧力をかけているとのことである。サァド・ハリーリーは1月7日から渡米し、クリントン国務長官らと会談しているが、サウジアラビアが従来通りの路線を維持するように、米国の力を借りる意向と思われる。

レバノン週報(2011年1月10日〜16日)

先週からサァド・ハリーリー首相は米国に滞在し、父ラフィーク・ハリーリーに対する爆殺事件を取り扱っているレバノン特別法廷に対する大国の支持を取り付けようとしている。というのも、特別法廷に対するレバノンの対応を巡り、自らが率いる「未来潮流」勢力とヒズブッラーが政治的に対立しているが、各勢力の「後ろ盾」として、その対立解消を目指しているサウジアラビアとシリアの動き(「サウジ・シリア・イニシアティブ」)が、最終的にはレバノンに対して、同法廷との協力関係の解消を要求することに落ち着くと見られているからである。1月10日から12日にかけては米国を舞台に、サァド・ハリーリーがオバマ大統領のみならず、サルコジ大統領やサウジアラビアのアブダッラー国王らと会談する一方、これら国家元首たちもそれぞれが会談し、レバノン情勢が話し合われた。他方で、ヒズブッラーやアマル運動、「自由国民潮流」勢力を中心する政治連合「3月8日同盟」は11日夜、特別法廷との協力関係をあくまで維持しようとするサァド・ハリーリーや米国などの動きがサウジ・シリア・イニシアティブを機能麻痺に陥らせとして、内閣からの閣僚引き上げを翌日に予定していることを発表した。

この結果、3月8日同盟に属する閣僚10人に加え、「独立系」のサイイド・フサイン国務大臣までが1月12日に辞任した結果、サァド・ハリーリー内閣は崩壊した。レバノン憲法第69条では、組閣法令で定められた3分の1を超える大臣が辞任した場合、その内閣は辞任したものと見なされる、と規定されていることから、30人という閣僚数のサァド・ハリーリー内閣は、11人の閣僚が辞任したことにより、終焉を迎えたのである。

しかしながら、サァド・ハリーリー暫定首相は直ぐにレバノンに帰国せず、13日には今度はパリにおいて、サルコジと会談するなどした。帰国後の14日にはスライマーン大統領と会談した後、内閣崩壊後初めての声明を発し、ヒズブッラーなどがサウジ・シリア・イニシアティブによる解決を妨害した、と主張した。他方でナスルッラー書記長は16日、3月8日同盟はサァド・ハリーリーを首相に再度指名することはないであろう、との声明を発出した。未来潮流とヒズブッラー側はこのように対立を深めているが、サウジ・シリア・イニシアティブに代わり、トルコとカタルが調停に乗り出すと見られており、地域諸国によるレバノンの政治対立緩和に向けた努力は今後も行われるようである。

レバノン週報(2011年1月17日〜23日)

先週の1月12日にサァド・ハリーリー内閣が崩壊し、レバノン情勢の悪化が懸念される中、サウジアラビアとシリアによる調停努力(「サウジ・シリア・イニシアティブ」)が既に暗礁に乗り上げていたことから、カタルとトルコが調停に乗り出すことになった。しかしながら、レバノンで対立する二大政治政治勢力、「未来潮流」(サァド・ハリーリー代表・暫定首相)とヒズブッラー(ナスルッラー書記長)それぞれの「後ろ盾」によるサウジ・シリア・イニシアティブと異なり、「中立的な」カタルとトルコによる調停に期待感が高まった矢先の17日、ラフィーク・ハリーリー爆殺事件を取り扱っているレバノン特別法廷が、容疑者の訴追手続きを取ったと発表した。関係書類が予審判事に送付され、同判事が今後正式に起訴するかどうかを判断することになった結果、レバノン情勢は新たな展開を迎えることになった。

こうした特別法廷の動きに対して、そのメンバーが起訴されることが確実視されているヒズブッラーは翌1月18日早朝、ベイルート市街地で示威行動を取った。2008年5月における、ヒズブッラーの武力行動や未来潮流メンバーとの市街戦に対する記憶が未だ新しい何割かの市民たちは、子供を学校に引き取りに行ったり、職場から早々に退出したり、とややパニックになったようであるが、幸いに大きな事件にはならなかった。私の所には早朝、大使館の邦人保護担当官から電話があったが、その電話を受けるまでは事態の展開に全く気付かない程であった。ただ、オフィス周辺の道路が閉鎖されている可能性を聞いたことから、往路は顔なじみのタクシー運転手に依頼して勤務に向かったが、帰路はいつも通りにバスで帰宅出来る状況であった。

カタルのハマド書記長とトルコのダヴトグル外相は1月18日、ヒズブッラーによる示威行動が終息した数時間後から、ベイルートにおける調停活動を開始した。サァド・ハリーリーやナスルッラーは当然のことながら、スライマーン大統領やビッリー国会議長といった政府の要職にある人物、その他政治指導者らとの会談を20日まで精力的に行ったが、その努力は実らなかった。こうした中でサァド・ハリーリーは同日、「3月14日同盟」の次期首相候補としての名乗りを上げたが、他方で23日には、これまで「3月8日同盟」の首相候補者とされていたカラーミー元首相に代わり、ミーカーティー元首相が候補として浮上した。カラーミーに対しては、ナスルッラー書記長も支持を表明していたが、高齢であるが故に辞退したようである。レバノンにおいては、大統領が国会議員に対する諮問を行い、その結果に基づいて首相が任命される制度になっているが、故に来週早々に始まると言われているスライマーン大統領による国会議員に対する諮問は、サァド・ハリーリーとミーカーティーを軸に行われることになった。さて、どのような結果になるであろうか。

レバノン週報(2011年1月24日〜1月28日)

スライマーン大統領による首相任命プロセスは、国会議員に対する諮問が予定通り1月24日から行われたことでスタートした。現在の議員構成は、2009年6月の選挙結果に基づいているが、「3月14日同盟」に属していたジュンブラート議員が同選挙後に、同同盟からの離脱を表明するなどした結果、「3月8日同盟」側が過半数(64議席)には届かないものの、やや優勢な状況にある。従って、ジュンブラート率いる議会会派に属する各議員や、「独立系」と言われている若干の議員の動向が、この首相任命プロセスにおける鍵を握ると言われてきた。1日目(24日)の諮問結果は、58名の議員がミーカーティー元首相に、49名の議員がサァド・ハリーリー暫定首相に対する支持を表明した。

このように、サァド・ハリーリーが劣勢とのことが明らかになると、同暫定首相の支持者たちが首都ベイルートや北部の都市トリポリなどの路上で、タイヤやゴミを燃やすなど、抗議活動を取り始めた。ハリーリー側が翌1月25日を「怒りの日」と指定したことから、抗議活動は2日間に渡って続き、その過程では「アル=ジャジーラ」放送の中継車がトリポリで襲撃され、またレバノン国軍や治安部隊との衝突が発生した結果、51名が負傷した。しかしながら、25日もスライマーンによる諮問プロセスは続き、同日にはミーカーティーが68名の議員からの支持を得た結果、首相に任命された。

ミーカーティーは今回、ヒズブッラーを中核とする3月8日同盟からの支持を得た結果、首相に任命にされたが、トリポリを地盤とする「穏健」と評されてきた政治家であり、またレバノンにおける通信事業に携わっている55歳の大物ビジネスマンである。シリアのバッシャール・アサド大統領一族と親しいことは事実のようであるが、ヒズブッラーとの関係は管見の限りではかなり薄く、3月8日同盟の側、特にヒズブッラーにとっては最後の選択肢であったようである。こうした中で、ミーカーティーは前内閣(サァド・ハリーリー内閣)と同じように、「挙国一致内閣」を形成する意向を表明したが、これに対してハリーリー側は1月27日、新内閣に加わらない意向であることを表明した。この背景には、レバノン国内における政治対立の争点となってきている、ラフィーク・ハリーリー爆殺事件を取り扱っているレバノン特別法廷との協力関係を、同国が今後も維持していくかどうかミーカーティーが明言せず、国内における話し合いでこの問題を解決していく意向であると表明したことがあった。

この結果、新内閣は3月8日同盟を軸に樹立されることになったが、果たしてその形成はスムーズにいくであろうか。東京での研究発表(「中東都市社会における人間移動と多民族・多宗派の共存」プロジェクト)のため、1月28日から2月半ばまで一時帰国するが、ベイルートに戻った際には新内閣が樹立されていることを願いつつ、これから空港に向かおう。

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